昭和44年、絹巻忠先生のお力で、岡山ろうあ児施設内に難聴幼児母子訓練部門ができました。「岡山かなりや学園」は、昭和42年11月から大元寮長で岡山かなりや学園初代園長に就任された故片岡宗助先生によって命名されました。詩人である西条八十が作詞した「歌を忘れたカナリヤ」から考えられたと聞いています。歌を忘れたカナリヤは最後には歌を思い出すとうたわれています。聞こえにくい子どもたちに、聴こうとする力だけでなく、コミュニケーションをする能力(歌をうたう力)をつけさせたいというお気持であったと伺っています。
昭和50年に厚生省認可、難聴通園施設第1号となり、平成24年4月には福祉型児童発達支援センターにかわりました。学園の主な目標は、早期発見・早期療育を行い、最大限に聴覚を活用して、言語発達を促進するとしています。創立以来この目標を継承しています。平成13年に新生児聴覚検査事業が岡山県に導入されて、今では、その受検率が約90%になっています。そのため難聴幼児が1歳未満で発見され、当園に来ています。発見されますと、補聴器を装用し、療育を早く開始できるようになっています。
平成29年度から社会福祉法人制度が改革され、新しい取組みを行っています。その一環として、人材確保と定着化を目指しています。また公益的な取り組みとして、岡山市児童発達支援センター機能強化事業も実施しています。まだ幾多の課題がありますが、私たち職員一丸となって、解決できるよう、頑張っていきたいと思います。また、皆様方のご支援のほど、よろしくお願いします。
理事長 大森 修平
昭和44年、元ろうあ児施設大元寮(昭和59年閉寮)に併設される形で、難聴幼児専門の通園訓練機関のモデルケースとして「難聴幼児母子訓練部門」がスタートしました。その後、岡山大学医学部耳鼻咽喉科学教室の協力を得ながら、施設を拡充しつつ、難聴幼児施設の制度化を訴え続けてきました。
昭和50年4月、全国に先駆け、難聴幼児通園施設第一号として厚生省の認可を受け、「岡山かなりや学園」は設立されました。以後、聴覚障がい乳幼児の早期発見、早期療育に努めています。
児童福祉法の改正に伴い、平成24年4月1日より、主に難聴児が通う「福祉型児童発達支援センター」に種別が変わりました。現在も聴覚障がい乳幼児の療育に力をそそいでいます。
月~金曜日 9:00-17:30