昭和43年、初代理事長である故絹巻忠先生のお力で社会福祉法人岡山ろうあ児援護協会が設立されました。
昭和44年、元ろうあ児施設大元寮(昭和59年閉尞)に併設される形で難聴幼児母子訓練部門がスタートしました。その後、岡山大学医学部耳鼻咽喉科学教室の協力を得ながら、施設を拡充しつつ、難聴幼児施設の制度化を訴え続けてきました。
昭和50年、厚生省より認可を受け難聴幼児通園施設第1号となる「岡山かなりや学園」が誕生しました。この園名は、詩人である西条八十が作詞した「歌を忘れたカナリヤ」から、初代園長である故片岡宗助先生がお考えになり命名されたものです。歌を忘れたカナリヤも最後には歌を思い出すとうたわれていることから、聞こえにくい子どもたちに、聴こうとする力だけではなく、コミュニケーションをする能力(歌をうたう力)をつけさせたいというお気持ちであったと伺っています。
平成24年4月、児童福祉法の改正に伴い、福祉型児童発達支援センターに種別が変わりました。令和6年4月からは、福祉型と医療型の一元化がなされ、これからの児童発達支援センターは、より幅広い高度な専門性を発揮することが求められています。
この度、大森修平前理事長の後任として、社会福祉法人 岡山かなりや会理事長に就任いたしました。
社会福祉法人 岡山かなりや会は、児童発達支援センター岡山かなりや学園と、相談支援事業所 かなりやの2つの事業を行っています。聴覚障がい児関連施策は、少しずつ変化してきています。児童発達支援センター岡山かなりや学園でも、令和4年度より岡山県から委託を受け、聴覚障害児支援中核機能モデル事業に取り組んでいます。各関係機関との連携を図り、聴覚障がい児とその保護者に必要な支援が届けられるように、相談支援や巡回支援、研修会を行います。
これまでの先輩各位が岡山の地で築いてきた聴覚障がい児への支援を引き継ぎつつ、気づきの段階から切れ目のない支援と相談の拠点となるよう、職員とともにさらに邁進し、当法人を“誰もが安心できる居場所”にしていきたいと思います。 今後も皆様方のご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
理事長 問田 直美
月~金曜日 9:00-17:30